哀れなる物、
孝有る、人の子。鹿の音。良き男の若きが、御嶽精進したる。隔て居て、打ち行ひたる暁の額など、いみじう哀れなり。睦ましき人などの、目、覚まして聞くらむ思ひやり。詣づる程の有り様、如何ならむと、慎みたるに、平らかに、詣で着きたるこそ、いと、めでたけれ。烏帽子の(損じたる)様などぞ、少し、人悪ろき。猶、いみじき人と聞こゆれど、こよなく窶れて詣づ、とこそは知りたるに。右衛門の佐・宣孝は、「味気無き事なり。唯、清き衣を着て、詣でんに、何でふ事か有らむ。必ず、よも(蔵王権現)「悪しくてよ」と、御嶽、宣はじ」とて、三月晦日に、紫の、いと濃き指貫、白き直衣、あを山吹の、いみじくおどろおどろしき、などにて。隆光が、主殿の亮なるは、あを色の、紅の衣、摺りもどろかしたる水干袴にて、打ち続き、詣でたりけるに、帰る人も、詣づる人も、珍しく、怪しき事に、(人々)「全て、此の山道に、斯かる姿の人、見えざりつ」と、あさましがりしを。四月晦日に帰りて、六月十日余りの程に、筑前の守、失せにし替はりに、成りにしこそ、(人々)「実に、言ひけむに、違はずも」と、聞こえしか。此は、哀れなる事には有らねども、御嶽の序でなり。
九月晦日、十月朔日の程に、唯、有るか無きかに、聞き付けたる螽斯の声。鶏の、子、抱きて、臥したる。秋深き庭の浅茅に、露の、色々、玉の様にて、光りたる。河竹の、風に吹かれたる夕暮れ。暁に、目、覚ましたる、夜なども、全て、思い交はしたる若き人の、中に。塞ぐ方、有りて、心にしも任せぬ、山里の雪。男も女も、清気なるが、黒き衣、着たる。二十日余り六日・七日ばかりの暁に、物語して、居明かして、見れば、有るか無きかに、心細気なる月の、山の端近く、見えたるこそ、いと、哀れなれ。秋の野。年、打ち過ぐしたる僧達の行ひしたる。荒れたる家に、葎、這ひ掛かり、蓬など、高く生ひたる庭に、月の、隈無く、明かき。いと荒うは有らぬ風の、吹きたる。