宮仕へ人の里なども、親など二人有るは、良し。人繁く、出入り、奥の方に、数多、様々の声、多く聞こえ、馬の音して、騒がしきまで有れど、悲し。然れど、忍びても、あらはれても、自づから「出で給ひけるを、知らで」とも、「又、何時か、参り給ふ」なども言ひに、差し覗く。心掛けたる人は、「如何は」と、門開けなどするを、うたて、騒がしう、危ふ気に、(家の人)「夜中まで」など、思ひたる気色、いと憎し。(家の人)「大御門は、鎖しつや」など問はすれば、(門番)「未だ、人の御座すれば」など、生防がし気に思ひて、答ふるに、(家の人)「人、出で給ひなば、疾く鎖せ。此の頃は、盗人、いと多かり」など言ひたる。いと、難かしう、打ち聞くだに有り。此の人の、供なる者ども(家の人)「此の客、今や出づる」と絶えず、差し覗きて、気色見る者どもを、笑ふべかンめり。真似打ちするも、聞きては、如何に、いとど厳しう、言ひ咎めむ。いと色に出でて言はぬも、思ふ心無き人は、必ず、来などやする。然れど、健よかなる方は「夜、更けぬ。御門も、危ふかンなる」と言ひて寝る(往ぬる)も有り。
真に志、異なる人は(家の人)「早」など、数多度、遣らるれど、猶、居明かせば、度々、歩くに、開けぬべき景色を、珍らかに思ひて、「いみじき御門を、今宵、らいさうと、開け広げて」と、聞こえ言ちて、味気無く、暁にぞ、鎖すなる。如何、憎き。親、添ひぬるは、猶こそ有れ。増して、真ならぬは、「如何に、思ふらむ」とさへ慎ましうて、兄人の家なども、実に、聞くには、然ぞ、有らむ。
夜中、暁とも無く、門、いと、心賢こくも無く、何の宮、内裏辺りの殿ばらなる人々の、出で合ひなどして、格子なども、上げながら、冬の夜を、居明かして、人の出でぬる後も、見出だしたるこそ、をかしけれ。有明などは、増して、いと、をかし。笛など、吹きて、出でぬるを、我は、急ぎても寝られず、人の上なども言ひ、歌など、語り聞くままに、寝入りぬるこそ、をかしけれ。