【第91段】
然て、其の左衛門の陣に、行きて後、里に出でて、暫し有るに、(中宮定子)「疾く、参れ」など、仰せ事の端に、(中宮)「左衛門の陣に行きし朝朗けなむ、常に、思し出でらるる。如何で、然、つれなく、打ち古りて、有りしならむ。いみじく、めでたからむとこそ、思ひたりしか」など、仰せられたる御返り事に、畏まりの由、申して、私には、(清少納言)「如何でか、めでたしと、思ひ侍らざらむ。御前にも、然りとも、(中宮)「中なる少女」とは思し召し御覧じけむ、となむ、思ひ給へし」と、聞こえさせたれば、立ち帰り、(女房)「いみじく思ふべかンめるなり。(中宮)「誰が面伏せなる事をば、如何でか、啓したるぞ。唯、今宵のうちに、万の事を捨てて、参られよ。然らずは、いみじく憎ませ給はむ」となむ、仰せ事有る」と有れば、(清少)「良ろしからむにてだに、由々し。増して、「いみじく」とある文字には、命も、然ながら捨ててなむ」とて、参りにき。