ここでの具体的な指摘・分析は、「冷やかし」へのものでしょうか。こういった場面をも真面目に分析し書き残す清少納言さんが、をかしく可愛らしくも思えます。思いつくかぎりを書くのだ、という清少納言の思いは、こういった場面も逃さなかった、そんな段だと私は思います。
※「下行く水の」は、和歌「心には下行く水の湧き返り言はで思ふぞ言ふに増される」を指しています。「私は地下水が湧き返るように、口には出さないけれどあなたの事を思っています。口に出して言うよりその思いは深いのですよ」というもの。
懸想人にて来たるは、言ふべきにも有らず。唯、打ち語らひ。又、然しも有らねど、自づから、来など、する人の、簾の中にて、数多、人々、居て、物など言ふに、入りて、頓に、帰へり気も無きを、供なる男・童など、「斧の柄も、朽ちぬべきなンめり」と、難かしければ、長やかに、打ち詠めて、密にと思ひて、言ふらめども、(供)「あな、侘びし。煩悩・苦悩かな。今は、夜中には、成りぬらむ」など言ひたる、いみじう、心付無く、彼の、言ふ者は、とかくも覚へず、此の、居たる人こそ、をかしう、見聞きつる事も、失する様に覚ゆれ。
好きだから来てくれたということは、解っている。ただ、どうということも無い話をしたり、そうではなく他の客人に混じって話し込んだりして、すぐに帰れそうな様子もなくて、一緒に来ていたお供の者が「斧の柄も、朽ちてしまいそうだなー」と、めんどくさそうにつぶやいたり「あぁ、侘しい。悩ましい、苦しいなぁ。これでは夜中になってしまうだろうなぁ」など言っているのが聞こえるのは、配慮がなくて、言った人はともかく、来てくれた当人自体の価値を下げる様に思う。
又、然は、色に出でては、え言はず有ると、高やかに、打ち言ひ、呻きたるも、「下行く水の」と、いと、をかし。立蔀・透垣の許にて、(供)「雨、降りぬべし」など、聞こへたるも、いと憎し。良き人、公達などの供なるこそ、然様には有らね。直人など、然ぞある。数多、有らん中にも、心延へ、見てぞ、率て歩くべき。
又、これでは、色気のあることなどとても言えないと、高い声で思い切って言ったのが「下行く水の」だなんて、本当に、愛しいやら、呆れるやら。陰から「雨が降りそうだなぁ」と聞こえて来るのも、本当に憎たらしい。素敵な人、貴族のお供はそんな事はしない。普通には、あるでしょうけど。色んな人が居るのだから、どんな人か見て、連れて歩いた方がいい。