【第47段】
木は、
桂。五葉。柿。橘。そばの木、はしたなき心地すれども、花の木ども、散り果てて、押し並べたる緑に成りたる中に、時も分かず、濃き紅葉の、艶めきて、思ひ掛けぬ青葉の中より、差し出でたる、珍し。檀、更にも、言はず。其の物とも無けれど、宿木と言ふ名、いと、哀れなり。榊、臨時の祭、御神楽の折など、いと、をかし。世に、木どもこそ有れ、「神の御前の物」と言ひ始めけむも、取り分き、をかし。楠の木は、木立多かる所にも、殊に、交じらひ立てらず。おどろおどろしき思ひ遣りなど、疎ましきを、千枝に分かれて、恋する人の例に言はれたるぞ、「誰かは、数を知りて、言ひ始めけむ」と思ふに、をかし。檜、人近からぬ物なれど、三棟・四棟の殿造りも、をかし。五月に、雨の声、学ぶらむも、をかし。楓の木、小やかなるにも、萌え出でたる梢の、赤みて、同じ方に、差し広ごりたる葉、花も、いと、物儚気にて、虫などの、乾れたる様にて、をかし。
翌檜、此の世近くも、見え聞こえず。御嶽に詣でて、帰る人など、然、持て歩くめる。枝差などの、いと、手触れ難気に、荒々しけれど、何の心、有りて、「明日は檜」と付けむ。味気無き予言なりや。「誰に、頼めたるにか有らむ」と思ふに、知らまほしう、をかし。楰の木、人並々なるべき様にも有らねど、葉の、いみじう細かに、小さきが、をかしきなり。樗の木。山梨の木。椎の木は、常緑樹は、何れも有るを、其れしも、葉替へせぬ例に、言はれたるも、をかし。
白樫など言ふ物、増して、深山木の中にも、いと気遠くて、三位・二位の袍、染むる折はかりぞ、葉をだに、人の、見るめる。めでたき事、をかしき事に、取り出づべくも有らねど、何時と無く、雪の降りたるに見紛へられて、素戔嗚尊の、出雲の国に御座しける御事を思ひて、人丸が詠みたる歌などを見る、いみじう、哀れなり。言ふ事にても、折に付けても、一節、哀れとも、をかしとも、聞き置きつる物は、草も木も鳥・虫も、疎かにこそ、覚えね。
楪の、いみじう房やかに、艶めきたるは、いと青う、清気なるに、思ひ掛けず、似るべくも有らず、茎の、赤う、煌々しう見えたるこそ、賤しけれども、をかしけれ。なべての月頃は、つゆも見えぬ物の、十二月の晦日にしも、時めきて、亡き人の食ひ物にも敷くにや、と哀れなるに、又、齢、延ぶる歯固めの具にもして、使ひたンめるは、如何なるにか。「紅葉せむ世や」と言ひたるも、頼もし。柏木、いと、をかし。葉守りの神の座すらむも、いと、畏し。兵衛の佐・尉などを、言ふらむも、をかし。姿、無けれど、棕櫚の木、唐めきて、悪ろき家の物とは見えず。