【第48段】
鳥は、
異所の物なれど、鸚鵡、いと、哀れなり。人の言ふらむ事を、学ぶらむよ。時鳥。水鶏。鴫。みこ鳥。鶸。鶲。山鳥は、友を恋ひて鳴くに、鏡を見せたれば、慰むらむ、いと、哀れなり。谷、隔てたる程など、いと、心苦し。鶴は、こちたき様なれども、鳴く声、雲井まで聞こゆらむ、いと、めでたし。頭赤き雀。斑鳩の、雄鳥。巧鳥。
鷺は、いと、見る目も、見苦し。眼居なども、うたて、万に、懐かしからねど、「万木の森に一人は寝じ」と、争ふらむこそ、をかしけれ。
はこ鳥。水鳥は、鴛鴦、いと、哀れなり。互みに、居替はりて、羽の上の霜を払ふらむなど、いと、をかし。都鳥。川千鳥は、友、惑はすらむこそ。雁の声は、遠く聞こえたる、哀れなり。鴨は、羽の霜、打ち払ふらむと思ふに、をかし。鶯は、詩などにも、めでたき物に作り、声より始めて、様・容貌も、然ばかり、貴に、美しき程よりは、九重の内に鳴かぬぞ、いと、悪ろき。人の、然なむ有ると言ひしを、然しも有らじと思ひしに、十年ばかり、候ひて、聞きしに、真に、更に、音も、せざりき。然るは、竹も近く、紅梅も、いと、良く、通ひぬべき便りなりかし。罷出て、聞けば、賤しき家の、見所も無き梅などには、華やかにぞ鳴く。夜、鳴かぬも、寝穢き心地すれども、今は、如何せむ。夏・秋の末まで、老い声に鳴きて、「虫食ひ」など、良うも有らぬ者は、名を付け替へて言ふぞ、口惜しく、凄き心地する。其れも、雀など様に、常に有る鳥ならば、然も、覚ゆまじ。春鳴く故こそは、有らめ。「年立ち返る」など、をかしき事に、歌にも、詩にも、作るなるは。猶、春の内ならましかば、如何に、をかしからまし。人をも、人気無う、世の覚え、侮らはしう、成り初めにたるをば、謗りやはする。鳶・烏などの上は、見入れなどする人、世に無しかし。然れば、いみじかるべき物と成りたればと思ふに、心行かぬ心地するなり。祭の帰さ、見るとて、雲林院・知足員などの前に、車を立てたれば、時鳥も、忍ばぬにや有らむ、鳴くに、いと、良う、学び似せて、木高き木どもの中に、諸声に鳴きたるこそ、さすがに、をかしけれ。
時鳥は、猶、更に、言ふべき方、無し。何時しか、したり顔にも聞こえ、歌に、卯の花、花橘などに宿りをして、将、隠れたるも、妬気なる心延へなり。五月雨の短夜に寝覚めをして、何で、人より先に聞かむと、待たれて、夜深く、打ち出でたる声の、労々じう、愛敬付きたる、いみじう、心憧れ、為む方無し。六月に成りぬれば、音もせず成りぬる、全て、言ふも、愚かなり。夜鳴く物、全て、何れも、めでたし。児どものみぞ、然しも無き。