【第92段】
職の御曹司に御座します頃、西の廂に、不断の御読経、有るに、仏など、掛け奉り、法師の居たるこそ、更なる事なれ。
二日ばかり有りて、縁の許に、賤しき者の声にて、「猶、其の仏供の下ろし、侍りなむ」と言へば、(僧)「如何で。まだきには」と答ふるを、(清少納言)「何の、言ふにか有らむ」と、立ち出でて、見れば、老いたる女の法師の、いみじく煤けた狩袴の、筒とかやの様に、細く短きを、帯より下、五寸ばかりなる、衣とかや言ふべからむ、同じ様に煤けたるを着て、猿の様にて、言ふなりけり。(清少)「あれは、何事、言ふぞ」と言へば、声、引き繕ひて、「仏の御弟子に候へば、仏の下ろし、賜べと申すを、此の御坊達の、惜しみ給う」と言ふ。華やかに、雅かなり。(清少)「斯かる者は、打ち屈じたるこそ、哀れなれ。うたても、華やかなるかな」とて、(清少)「異物は、食はで、仏の御下ろしをのみ食ふか。いと尊き事かな」と言ふ気色を見て、(老尼)「何か、異物も、食べざらむ。其れが、候はねばこそ、取り申し侍れ」と言へば、菓物・広き餅などを、物に取り入れて、取らせたるに、無下に、仲良く成りて、万の事を語る。
若き人々、出で来て、(女房)「男や、有る」「何処にか、住む」など、口々に問ふに。をかしき諷言などすれば、(女房)「歌は、歌ふや」「舞など、するか」と、問ひも果てぬに、(老尼)「夜は、誰と寝む。常陸の介と寝む。寝たる肌も、良し」。此が末、いと多かり。又、「男山の、峰の紅葉葉。然ぞ、名は立つ、立つ」と、頭を転がし、振る。いみじく憎ければ、笑ひ憎みて、(女房)「住ね」「住ね」と言ふも、いと、をかし。(清少)「此に、何、取らせむ」と言ふを、聞かせ給ひて、(中宮定子)「いみじう、何ど、斯く、傍痛き事は、せさせつる。えこそ聞かで、耳を塞ぎて有りつれ。其の衣、一つ取らせて、疾く、遣りてよ」と、仰せ事有れば、取りて、(清少)「其れ、賜はらするぞ。衣、煤けたり。白くて、着よ」とて、投げ取らせたれば、伏し拝みて、肩にぞ打ち掛けて、舞ふものか。真に、憎くて、皆、入りにし。
後には、慣らひたるにや、常に、見えしらがひて、歩く。やがて、「常陸の介」と、付けたり。衣の白めず、同じ煤けにて有れば、(女房)何処、遣りにけむ」など憎むに、右近の内侍の参りたるには、(中宮)「斯かる者なむ、語らひ付けて、置きたンめる。斯うして、常に来る事」と、有りし様など、小兵衛と言ふ人して、倣ばせて、聞かせ給へば、(右近の内侍)「彼、如何で見侍らむ。必ず、見せさせ給へ。御得意なンなり。更に、世も、語らひ取らじ」など、笑ふ。其の後、又、尼なる片端の、いと貴やかなるが、出で来たるを、又、呼び出でて、物など問ふに、此は、恥づかし気に思ひて、哀れなれば、衣一つ、賜はせたるを、伏し拝むは、然れど、良し。然て、打ち泣き喜びて、出でぬるを、早、此の常陸の介、行き合ひて、見てけり。其の後、いと久しく見えねど、誰かは、思ひ出でむ。
然て、十二月の十日余りの程に、雪、いと高う、降りたるを、女房どもなどして、物の蓋に入れつつ、いと多く置くを、「同じくは、庭に、真の山を、作らせ侍らむ」とて、侍、召して、仰せ事にて言へば、集まりて作るに、主殿司の人にて、御清めに参りたるなども、皆、寄りて、いと高く、作り成す。宮司など、参り集まりて、言加へ、殊に作れば、所の衆、三人・四人、参りたる。主殿司の人も、二十人ばかりに、成りにけり。里なる侍、召しに、遣はしなどす。「今日、此の山、作る人には、録、賜はすべし。雪山に参らざらむ人には、同じからず。留めむ」など言へば、聞き付けたるは、惑ひ参るも、有り。里遠きは、え告げ遣らず。
作り果てつれば、宮司、召して、衣、二結、取らせて、縁に、投げ出づるを、一つづつ、取り寄りて、拝みつつ、腰に差して、皆、罷出ぬ。袍など、着たるは、片方、去らで、狩衣にてぞ有る。
(中宮)「此、何時まで、有りなむ」と、人々、宣はするに、「十日余りは、有りなむ」、唯、此の程を有る限り、申せば、(中宮)「如何に」と、問はせ給へば、(清少)「正月の十五日まで、候ひなむ」と申すを、御前にも、(中宮)「え然は有らじ」と思すめり。女房などは、全て、(女房)「年の内、晦日までも、有らじ」とのみ申すに、(清少)「余り、遠くも、申してけるかな。実に、えしも、然は、有らざらむ。朔日などぞ、申すべかりける」と、下には思へど、(清少)「然はれ。然まで無くと、言ひ初めてむ事は」とて、堅う、諍ひつ。
二十日の程に、雨など降れど、消ゆべくも無し。丈ぞ、少し、劣り持て行く。(清少)「白山の観音、此、消させ給ふな」と祈るも、物狂ほし。
然て、其の山、作りたる日、式部の丞・忠隆、御使ひにて、参りたれば、褥、差し出だし、物など言ふに、(源忠隆)「今日の雪、山、作らせ給はぬ所なむ、無き。御前の坪にも、作らせ給へり。春宮・弘徽殿にも、作らせ給へり。京極殿にも、作らせ給へり」など言へば、
(清少)此処にのみ珍しと見る雪の山所々に降りにけるかな
と、傍らなる人して、言はすれば、度々、傾きて、(忠隆)「返しは、え仕り汚さじ。戯れたり。御簾の前に、人にを語り侍らむ」とて、立ちにき。歌は、いみじく好むと聞きしに、怪し。御前に聞こし召して、(中宮)「いみじく良く、とぞ、思ひつらむ」とぞ宣はする。
晦日方に、少し、小さく成る様なれど、猶、いと高くて、有るに、昼つ方、縁に、人々、出で居など、したるに、常陸の介、出で来たり。(清少)「何ど、いと久しく、見えざりつる」と言へば、(常陸の介)「何か。いと心憂き事の、侍りしかば」と言ふに、(清少)「如何に。何事ぞ」と問ふに、(常陸の介)「猶、斯く思ひ侍りしなり」とて、長やかに、読み出づ。
(常陸の介)「 -羨まし足も引かれずわたつ海の如何なる海女に物賜ふらむ- となむ、思ひ侍りし」と言ふを、憎み笑いて、人の、目も見入れねば、雪の山に登り、拘らひ歩きて、往ぬる後に、右近の内侍に、「斯くなむ」と、言ひ遣りたれば、「何か、人添へて、此処には、給はせざりし。彼が、はしたなくて、雪の山まで、掛かり伝ひけむるこそ、いと悲しけれ」と有るを、又、笑ふ。雪山は、つれなくて、年も返りぬ。朔日の日、又、雪、多く降りたるを、(清少)「嬉しくも、降り積みたるかな」と思ふに、(中宮)「此は、あいなし。初めのをば、置きて、今のをば、掻き捨てよ」と、仰せらる。上にて、局へ、いと疾う、下るれば、侍の長なる者、柚の葉の如くなる宿直衣の袖の上に、青き紙の、松に付けたるを、置きて、慄き出でたり。(清少)「其は、何処のぞ」と問へば、(侍の長)「齋院より」と言ふに、ふと、めでたく覚えて、取りて、参りぬ。
未だ、大殿籠りたれば、母屋に当たりたる御格子、行はぬなど、掻き寄せて、一人、念じて、上ぐる、いと重し。片つ片なれば、犇めくに、驚かせ給ひて、(中宮)「何ど、然はする」と宣はすれば、(清少)「齋院より、御文の候はむには、如何でか、急ぎ上げ侍らざらむ」と申すに、(中宮)「実に、いと疾かりけり」とて、起きさせ給へり。御文、開けせ給へれば、五寸ばかりなる卯槌、二つを、卯杖の様に、頭、包みなどして、山橘・日陰蔓・山菅など、愛し気に飾りて、御文は無し。従なる様、有らむやはとて、御覧ずれば、卯槌の頭、包みたる小さき紙に、
御返し、書かせ給ふ程も、いと、めでたし。齋院には、此より、聞こえさせ給ふ。御返しも、猶、心殊に、書き汚し、多く、御用意、見えたる。御使ひに、白き織物の単衣、蘇枋なるは、梅なンめりしか。雪の降り敷きたるに、被きて参るも、をかしう見ゆ。此の度の御返り事を、知らず成りにしこそ、口惜しかりしか。
雪の山は、真に、越のにや有らむと見えて、消え気も無し、黒く成りて、見る甲斐も無き様ぞ、したる。勝ちぬる心地して、如何で、十五日、待ち付けさせむと念ずれど、(女房)「七日をだに、え過ぐさじ」と、猶、言へば、(女房)「如何で、此、見果てむ」と、皆人、思ふ程に、俄に、三日、内裏へ入らせ給ふべし。いみじう、口惜しく、(清少)「此の山の果てを、知らずなりなむ事」と、忠実やかに思ふほどに、人も、(女房)「実に、懐しかりつる物を」など言ふ。御前にも、仰せらる。(清少)「同じくは、言ひ当てて、御覧ぜさせむ」と思へる甲斐、無ければ、御物の具、運び、いみじう騒がしきに合はせて、木守と言ふ者の、築地の程に、廂、差して、居たるを、縁の許近く、呼び寄せて、「此の雪の山、いみじく守りて、童などに、踏み散らさせ、毀たせで、十五日まで、候はせ。良く良く、守りて、其の日に当たらば、めでたき禄、賜はせむとす。私にも、いみじき慶び、言はむ」など語らひて、常に台盤所の人、下種などに、請ひて、呉るる菓物や何やと、いと多く取らせたれば、打ち笑みて、(木守)「いと易き事。確かに、守り侍らむ。童などぞ登り侍らむ」と言へば、「其れを制して、聞かざらむ者は、事の由を申せ」など、言ひ聞かせて、入らせ給ひぬれば、七日まで候ひて、出でぬ。
其の程も、此が後ろめたきままに、公人・洗女・長女などして、絶えず、戒めし遣り、七日の御節供の下ろしなどを遣りたれば、拝みつる事など、帰りては、笑ひ合へり。
里にても、明くる、即ち、此を大事にして、見せに遣る。十日の程には、(使者)「五・六尺ばかり有り」と言へば、嬉しく思ふに、十三日の夜、雨、いみじく降れば、(清少)「此にぞ消えぬらむ」と、いみじく口惜し。(清少)「今、一日も待ち付けで」と、夜も起き居て、嘆けば、聞く人も、「物狂ほし」と。笑ふ。人の、起きて行くに、やがて、起き居て、下種、起こさするに、更に、起きねば、憎み、腹立たれて、起き出でたるを、遣りて、見すれば、(下部)「円座ばかりに、成りて侍る。木守、いと賢う、童も寄せで、守りて、(木守)「明日・明後日までも、候ひぬべし。禄、賜はらむ」と申す」と言へば、いみじく嬉しく、(清少)「何時しか、明日に成らば、いと疾う、歌詠みて、参らせむ」と思ふも、いと心許無う、侘びしう、未だ、暗きに、大きなる折櫃など、持たせて、(清少)「此に、白からむ所、直物、入れて、持て来。汚な気ならむは、掻き捨てて」など、言ひ含めて、遣りたれば、いと疾く、持たせて遣りつる物、引き下げて、(下部)「早う、失せ侍りにけり」と言ふに、いと、あさまし。
をかしう、詠み出でて、人にも語り伝へさせむと、呻き誦んじつる歌も、いと、あさましく、甲斐無く、(清少)「如何に、しつるならむ。昨日、然ばかり、有りけむものを。夜の程に、消えぬらむ事」と、言ひ屈ずれば、(下部)「木守が申しつるは、(木守)「昨日、いと暗う成るまで、侍りき。禄賜はらむと、思ひつる物を、賜はらず、成りぬる事」と、手を打ちて、申し侍りつる」と、言ひ騒ぐに、内裏より、仰せ事有りて、(中宮)「然て、雪は、今日まで、有りつや」と宣はせたれば、いと、妬く、口惜しけれど、(清少)「(人々)「年の内、朔日までだに、有らじ」と、人々、啓し給ひし。昨日の夕暮れまで、侍りしを、いと賢しとなむ、思ひ給ふる。今日までは、余りの事になむ。(清少)「夜の程に、人の、憎がりて、取り捨て侍るにや」となむ。推し量り侍ると、啓させ給へ」と聞こえさせつ。
然て、二十日に参りたるにも、先づ、此の事を、御前にても言ふ。(下部)「皆、消えつ」とて、蓋の限り、引き下げて、持て来たりつる帽子の様にて、即ち、参で来たりつるが、あさましかりし事。物の蓋に、小山、愛くしう作りて、白き紙に、歌、いみじく書きて、参らせむとせし事など啓すれば、いみじく、笑はせ給ふ。御前なる人々も、笑ふに、(中宮)「斯う、心に入れて、思ひける事を、違へたれば、罪、得らむ。真には、四日の夕去、侍ども、遣りて、取り捨てさせしぞ。返り事に、言ひ当てたりしこそ、をかしかりしか。其の翁、出で来て、いみじう手を摺りて、言ひけれど、(侍)「仰せ事ぞ、彼の、寄り来たらむ人に、斯う聞かすな。然らば、屋、打ち毀たせむ」と言ひて、左近の司、南の築地の外に、皆、取り捨てし。(侍)「いと高くて、多くなむ有りつ」と、言ふなりしかば、実に、二十日までも待ち付けて、良うせずは、今年の初雪にも、降り添ひなまし。主上にも、聞こし召して、(一条天皇)「いと、思ひ寄り難く、抗ひたり」と、殿上人などにも、仰せられけり。然ても、彼の歌を語れ。今は、斯く言ひ顕はしつれば、同じ事。勝ちたり。語れ」など、御前にも宣はせ、人々も宣へど、(清少)「何せむにか、然ばかりの事を、承りながら、啓し侍らむ」など、忠実やかに、憂く、心憂がれば、主上も、渡らせ給ひて、(天皇)「真に、年頃は、多くの人なンめりと見つるを、此にぞ、怪しく思ひし」など仰せらるるに、いとど辛く、打ちも泣きぬべき心地ぞする。(清少)「いで、哀れ。いみじき世の中ぞかし。後に、降り積みたりし雪を、嬉しと思ひしを、(中宮)「其れは、あいなし」とて、(中宮)「掻き捨てよ」と仰せ事侍りしか」と申せば、(天皇)「実に、(中宮)「勝たせじ」と、思しけるならむ」と、主上も、笑はせ御座します。