枕草子FANの意訳
生ひ先無く、忠実やかに、似非幸ひなど、見て居たらむ人は、燻せく侮らはしく、思ひ遣られて、猶、然りぬべからむ人の娘などは、差し交じらはせ、世の中の有様も、見せ習はさまほしう、内侍などにても、暫し、在らせばやとこそ、覚ゆれ。
生きる希望も無く、直向きに、幸せとも言い難い暮らしをしている人は、悶々としていてどうでもよいといった風でもあって、思い遣られて、やはり、そういう人、娘などは、外に出して、世の中の有様を見せ習わさせてあげたく、内侍、宮中に勤めに出させるなど、暫し、させてあげたいと思う。
宮仕へする人をば、淡々しう、悪ろき事に思い居たる男こそ、いと、憎けれ。実に、其も、又、然る事ぞかし。
宮仕えをする人を、軽薄だと、悪い事だと思っている男、これは、本当にどうかと思う。確かに、それもまた、一理ある事か・・・。
懸けまくも畏き、御前をはじめ奉り、上達部、殿上人、四位、五位、六位、女房は更にも言はず、見ぬ人は、少なくこそは有らめ。
言葉にするのも畏れ多い方達を、見掛けることは、あまりある事ではない。
女房の従者ども、其の里より、来る者ども、長女、御厠人、礫瓦と言ふまで、何時かは、其れを、恥ぢ隠れたりし、殿ばらなどは、いと、然しも有らずや有らむ。
(それでも)女房に仕える者や、里から出て来て清掃などをする下級の職についている人達は、畏れ多い方達に対して、恥ぢ隠れる様になる。男性ならば、特別そういうこともない、ということもなくて。
其れも、有る限りは、然ぞ、有らむ。「上」など言ひて、傅き据ゑたるに、心憎からず覚えむ。理なれど。内侍の次官など言ひて、折々、内裏へ参り、祭の使ひなどに、出でたるも、面立たしからずやは有る。
それも、ある意味、そうだと思う。「上」など言って、お世話役をするのは、「心がそそられるもの」でもないと思える。それも解らなくはないけれど。内侍の次官などといった名で、折々、内裏へ参り、祭りの使いなどに出るのは、光栄なことではないと言う事も無い。
然て、籠もり居たる人は、いと、良し。受領の、五節など、出だす折、然りとも、甚う鄙び、見知らぬ事、人に問ひ聞きなどはせじと、心憎きものなり。
この様にしてから、家に入った人は、とても良い。家から五節(舞姫)などを出す時に、すっかり田舎じみていたとしても、「知らない事だから人に聞くなどしなくても良い」といった風で、心憎い(惹かれる)ものだと思う。