枕草子「女房の参り罷出でするには」/原文と意訳

枕草子・訳③

女房も、宮中に向かう時や外出する時には、牛車を借りる事もあるしと、どうかお願いしたいと顔を顔にして言うものだからお貸したというのに、牛飼童が、普段の牛よりも良くないと言う様な事を言ったり、酷く、走りながら鞭打っているのは「なんとも、いたわしい」と思うのです。(牛も牛飼童もです)

男達が難しい顔をして「どうにかして、夜更け前には帰りたいものだな」と言っているのを聞けば、急ぎの用なのだろうと、気にもなるだろうし、又、急いでいるのは解っているだろと言い掛かって来るとも分からない。(そういう思いもあるのでしょう)

業遠の朝臣だけは、夜中も暁でも変わらず、まずそのような事はなかったと聞きます。本当に良く、教え習わせたものだと思います。

道で遇った女車が、深みに落ちて、とても引き上げる事も出来ないと、牛飼が困っていれば、自らの事として、自分の車を打たさせ(貸し)さえするとなれば、それは教え習わしたと言うものを越えて、心の中に“教え”を備えた、その様なものに見えます。

また、女車を落し入れてしまって、引き上げも出来ないでいる牛飼を、自分の使用人に殴らせさえするのは、それは教え習わすと言うものを踏み越えて、ただ、罰を与えているだけ、その様なものとも。

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