清少納言・聖地<鳥戸野陵>

鳥戸野とりべののみささぎ

一条天皇の皇后“定子ていしさだこ”の陵墓

枕草子の起源
定子「此に何を書かまし」
清少納言「枕にこそはし侍らめ」
定子「然は得よ」

枕草子「第325段、物暗う成りて」より

清少納言は、994年頃から定子様が崩御される1001年頃まで、女房として彼女に仕えました。

所在地

京都府京都市東山区今熊野泉山町55

地図

最寄駅:JR東福寺駅
JR京都駅から南東方向へ2駅

参道入口

平安時代、鳥戸野の管掌寺院だった今熊野観音寺。
観音寺から北へ、徒歩で約10分の位置にあります。

左に在るのが今熊野観音寺の境内案内。前方に見える橋は鳥居橋。この先に観音寺は在ります。

右の御寺泉涌寺霊園の石碑側に向かって、遊歩道を進みます。
鳥居橋の下を、鳥居をくぐる様にして・・・、ゆっくり約10分の遊歩。

石段を上がり、

石畳の道を・・・、この辺りからは京都タワーを眺めることが出来ます。

参道入り口からは、5分程で御陵に詣でることが出来ます。

枕草子に描かれる定子様



第260段 「関白殿、二月十日の程」より
~定子様の御輿~

第 99段 「上の御局の」より
~琵琶を持つ定子様~

第182段 「宮に、初めて参りたる」より
~初めてお会いした定子様~

第105段 「五月の御精進の程」より
~推し、聞き、認め、歩ませて下さった定子様~

第106段 「御方々、公達、上人」より
~叱咤激励くださる定子様~

第100段 「御乳母の大輔の」より
~物思いに耽る定子様~

清少納言の晩年

清少納言は、父清原元輔の邸宅が現在の観音寺境内地付近に有ったことから、観音寺の近くで生まれ育てられたとされています。定子様が崩御されると鳥戸野陵が観音寺近くに造営されました。それにともなって清少納言も自分が生まれ育った観音寺近くの父の邸宅のほとりに住まい、寵遇を受けた定子様の御陵に詣でつつ晩年を過ごしたものと思われています。


『赤染衛門集』

元輔が昔住みける家のかたわらに清少納言住みしころ、雪のいみじく降りて隔ての垣もなくたおれて見わたされしに
あともなく 雪降る里の荒れたるを
いずれ昔の垣根とかみる

『公任卿集』

清少納言が月輪にかえり住むころ
ありつゝも 雲間にすめる月の輪を
いく夜ながめて行きかえるらむ

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