枕草子FANの意訳
五月ばかりに、月も無く、いと暗き夜「女房や、候ひ給ふ」と、声々して言へば、(中宮定子)「出でて見よ。例ならず、言ふは、誰そ」と仰せらるれば、出でて、(清少納言)「此は、誰そ。おどろおどろしう、際やかなるは」と言ふに、物も言はで、御簾を擡げて、そよろと、差し入るるは、呉竹の枝なりけり。(清)「おい。此の君にこそ」と言ひたるを聞きて、「いざや、此、殿上に行きて、語らむ」とて、中将、新中将、六位どもなど、有りけるは、往ぬ。
五月の、月も無い暗い夜。「女房は、居りますか」という大きな声に、中宮定子様が「見て来なさい。突然来たのは誰かしら」と仰せられた。(清少納言)「誰かしら。大きな声など出しているのは」と出て見ると、物も言はずに、簾を持ち上げて、そよろと差し入れられたのは呉竹の枝。(清)「おい、此の君にこそ」と言ったのを聞いて「これは、殿上に行って教えなければ」と、中将など居た者達は出て行ってしまった。
頭の弁(藤原行成)は、留まり給ひて「怪しく往ぬる者どもかな。御前の竹を折りて、詞詠まむとしつるを、(中将など)『職に参りて、同じくは、女房など、呼び出でてを』と言ひて、来つるを、呉竹の名を、いと疾く言はれて、往ぬるこそ、をかしけれ。誰が教へを知りて、人の、並べて、知るべくも有らぬ事をば、言ふぞ」など宣へば、(清)「竹の名とも、知らぬ物を。生妬しとや、思しつらむ」と言へば、(成行)「真ぞ。え知らじ」など宣ふ。
頭の弁(藤原行成)は残っていて「全くなんて帰り方をする人達だ」「天皇様の所の竹を折って、題にして詩を詠もうとして居たところ、中将などが『中宮様の所へ行って、女房などを呼び集めては』と言うから来たものを、呉竹の名を、すぐ様、言われて、出て行くなんて、それこそ可笑しい」「誰が、こんな、普通は知らない様な事を、言うのです」と言うので、(清)「此の君が竹の名だなんて、知らないというのに。勘違いじゃないかしら」と言えば、(行成)「本当にか。とても知らないとは」などと言う。
忠実事など、言ひ合はせて、居給へるに、(中将など)「此の君と称す」といふ詩を誦じて、又、集まり来たれば、(行成)「殿上にて、言ひきしつる本意も無くては、何ど、帰り給ひぬるぞ、いと、怪しくこそ有りつれ」と宣へば、(中将など)「然る事には、何の答へをか、せむ。いと、なかなかならむ。殿上にても、言ひ罵りつれば、主上も、聞こし召して、興ぜらせ給ひつる」と語る。弁、諸共に、返す返す同じ事を誦じて、いと、をかしがれば、人々、出でて見る。取り取りに、物ども、言ひ交はして帰るとて、猶、同じ事を、諸声に誦じて、左衛門の陣に入るまで、聞こゆ。
あれこれ話などして居ると、中将達が「此の君と称す」という詩を誦みながら、又、戻り集まって来たのを見て、(行成)「殿上に戻っても、言える何物もないのでは、帰りにくいのだろ。それこそ怪しいしな」と声を掛けると、(中将)「それには、何と答えたらいいか」「しかし全く、なかなかのものでしたね」「殿上で話題にすれば、天皇様も面白く思って下さる」と語る。皆が、返す返す同じことを言ったりと、あまりにも沸き立っているものだから、職の人達も出て来て見る。それぞれに、あれこれ言い交わしながら帰っては行ったのだけど、その声は左衛門の陣に入るまで聞こえる程のものだった。
翌朝、いと疾く、少納言の命婦と言ふが、御文、参らせたるに、此の事を、啓したれば、下なるを、召して、(定子様)「然る事や有りし」と、問はせ給へば、(清)「知らず。何とも思はで、言ひ出で侍りしを、行成の朝臣の、取り成したるにや侍らむ」と申せば、(定子様)「取り成すとても」と、打ち笑ませ給へり。誰が事をも、「殿上人、誉めけり」と聞かせ給ふをば、然、言はるる人を、喜ばせ給ふも、をかし。
翌朝、早くに、ある女官が、文を届けに行った際に、この事を申し伝えた。すると、定子様は皆を集めて「この様なことはあったのか」とお聞きになったので(清)「知りません。何とも思わずに、言ったものを、行成の朝臣が、取り成してくださっただけかと」と言うと、定子様は「取り成すと言っても」と、とても喜ばしいといった風に笑顔を見せて下さった。定子様は誰の事であっても「上の方達が、誉めていましたよ」とお声を掛けて下さるなどして、この様に言われる人を大切に扱う、これも流石と思わずにはいられない。