正月に、寺に籠もりたるは、いみじく寒く、雪勝ちに、氷りたるこそ、をかしけれ。雨などの、降りぬべき気色なるは、いと悪ろし。
初瀬などに詣でて、局などする程は、呉端の許に、車、引き寄せて、立てるに、帯ばかりしたる若き法師ばらの、足駄と言ふ物を履きて、些か、慎みも無く、下り、上るとて、何とも無き、経の端、打ち誦み、倶舎の頌を、少し言ひ続け歩くこそ、所に付けて、をかしけれ。我が上るは、いと危く、傍に寄りて、高欄、押さへて行くものを、唯、板敷などの様に思ひたるも、をかし。(法師)「局したり」など言ひて、沓ども、持て来て、下ろす。衣、反様に、引き返しなど、したるも、有り。裳、唐衣など、強々しく、装束きたるも、有り。深沓、半靴など、履きて、廊の程など、沓、摺り入るは、内裏辺りめきて、又、をかし。内外など、許されたる、若き男ども、家の子など、又、立ち続きて、「其処許は、落ちたる所に、侍るめり。上がりたる」など、教へ行く。何者にか有らむ、いと近く、差し歩み、先立つ者などを、「暫し。人の、御座しますに。斯くは、交じらぬ業なり」など言ふを、(参詣者)「実に」とて、少し、立ち後るるも、有り。又、聞きも入れず。(参詣者)「我、先ず、疾く、仏の御前に」と行くも、有り。局に行く程も、人の、居並みたる前を、通り行けば、いと、うたて有るに、犬防ぎの中を、見入れたる心地、いみじく尊く、(清)「何どて、月頃も、詣でず、過ぐしつらむ」とて、先づ、心も起こさる。
御灯、常燈には有らで、内陣に、又、人の奉りたる、恐ろしきまで燃えたるに、仏の、きらきらと見え給へる、いみじく尊気に、手毎に、文を捧げて、礼版に向かひて、論議誓ふも、然ばかり、揺すり満ちて、「此は」と、取り放ちて、聞き分くべくも有らぬに、せめて、絞り出だしたる声々の、さすがに、又、紛れず。(法師)「千燈の御志は、何某の御為」と、僅かに聞こゆ。帯、打ち掛けて、拝み奉るに、「此処に斯う、候ふ」と言ひて、樒の枝を折りて、持て来たるなどの、尊きなども、猶、をかし。
犬防ぎの方より、法師、寄り来て「いと良く、申し侍りぬ。幾日ばかり、籠もらせ給ふべき」など、問ふ。「然々の人、籠もらせ給へり」など言ひ聞かせ往ぬる、即ち、火桶、果物など、持て来つつ、貸す。半挿に、手水など入れて、盥の、手も無きなど、有り。(法師)「御供の人は、彼の坊に」など言ひて、呼び持て行けば、替はり替はりぞ、行く。
誦経の鐘の音、(清)「我がなンなり」と聞けば、頼もしく聞こゆ。傍に、良ろしき男の、いと忍びやかに額など衝く。立ち居の程も、心有らむと聞こえたるが、甚く、思ひ入りたる気色にて、睡も寝ず、行ふこそ、いと哀れなれ。打ち休む程は、経、高くは聞こえぬ程に、誦みたるも、尊気なり。高く、打ち出でさせまほしきに、増して、鼻などを、けざやかに、聞き難くは有らで、少し忍びて、擤みたるは、何事を思ふらむ。(清)「彼れを、叶へばや」とこそ覚ゆれ。
日頃、籠もりたるに、昼は、少し長閑にぞ、早うは有りし。法師の坊に、男ども、童べなど、行きて、従然なるに、唯、傍に、貝をいと高く、俄に、吹き出だしたるこそ、驚かるれ。清気なる立文など、持たせたる男の、誦経の物、打ち置きて、堂童子など、呼ぶ声は、山、響き合ひて、きらきらしう聞こゆ。鐘の声、響き増さりて、(清)「何処ならむ」と聞く程に、止事無き所の名、打ち言ひて、(法師)「御産、平らかに」など、教化など、したる。漫ろに、(清)「如何ならむ」と、覚束無く、念ぜらるる。此は、従なる折の事なンめり。正月などには、唯、いと物騒がしく、物望みなどする人の、隙無く詣づる、見る程に、行ひも、し遣られず。
日の、打ち暮るるに、詣づるは、籠る人なンめり。小法師ばらの、擡ぐべくも有らぬ屏風などの、高き、いと良く進退し、畳など、ほうと、立て置くと見れば、唯、局に出でて、犬防ぎに、簾を、さらさらと、掛くる様などぞ、いみじく仕付けたるは、安気なり。そよそよと、数多、下りて、大人立ちたる人の、賎しからず、忍びやかなる御気配にて、帰る人にや有らむ、「其の中、危し。火の事、制せよ」など、言ふも有り。七つ、八つばかりなる男子の、愛敬付き、驕りたる声にて、侍人、呼び付け、物など言ひたる気配も、いと、をかし。又、三つばかりなる児の、寝おびれて、打ち咳きたる気配も、愛し。乳母の名、母など、打ち出でたらむも、(清)「此ならむ」と、いと知らまほし。
夜一夜、いみじう罵り、行ひ明かす。寝も入らざりつるを、後夜など、果てて、少し、打ち休み、寝ぬる耳に、其の寺の仏経を、いと荒々しう、高く、打ち出でて、誦みたるに、態と、尊しとも有らず。修行者立ちたる法師の誦むなンめりと、ふと、打ち驚かれて、哀れに聞こゆ。又、夜などは、顔知らで、人々しき人の、行ひたるが、青鈍の指貫の端張りたる、白き衣ども、数多、着て、子供なンめりと見ゆる若き男の、をかしう、打ち装束きたる、童などして、侍の者ども、数多、畏まり、囲繞したるも、をかし。仮初めに、屏風、立てて、額など、少し衝くめり。
顔知らぬは、(清)「誰ならむ」と、いと懐し。知りたるは、「然なンめり」と見るも、をかし。若き人どもは、とかく、局どもなどの辺りに、彷徨ひて、仏の御方に、目、見遣り奉らず、別当など呼びて、打ちささめき、物語して出でぬる、似非者とは見えずかし。
二月晦日、三月朔日頃、花盛りに、籠もりたるも、をかし。清気なる男どもの、忍ぶと見ゆる二人、三人、桜、青柳など、をかしうて、括り上げたる指貫の裾も、貴やかに、見做さるる。付々しき男に、装束、をかしうしたる餌袋、抱かせて、小舎人童ども、紅梅、萌黄の狩衣に、色々の衣、摺り斑かしたる袴など、着せたり。花など、折らせて、侍めきて、細やかなる者など、具して、金鼓、打つこそ、をかしけれ。(清)「然ぞかし」と見ゆる人有れど、如何でかは知らむ。打ち過ぎて、往ぬるこそ、さすがに、寂々しけれ。「気色を、見せまし物を」など言ふも、をかし。
斯様にて、寺籠もり、全て、例ならぬ所に、使ふ人の限りして、有るは、甲斐無くこそ覚ゆれ。猶、同じ程にて、一つ心に、をかしき事も、様々、言ひ合はせつべき人、必ず、一人、二人、数多も、誘はまほし。其の、有る人の中にも、口惜しからぬも有れども、目慣れたるなるべし。男なども、然、思ふにこそ有めれ。尋ね、呼び持て歩くめるは、いみじ。