十二月二十四日、中宮の御仏名の、初夜の御導師、聞きて、出づる人は、夜中も、過ぎぬらむかし。里へも出で、若しは、忍びたる所へも、夜の程、出でるにも有れ、相乗りたる道の程こそ、をかしけれ。日頃、降りつる雪の、今朝は止みて、風などの、甚う吹きつれば、垂氷の、いみじう垂り、土などこそ斑々黒きなれ、屋の上は、唯、押し並べて、白きに、怪しき賤の屋も、面隠して、有明の月の隈無きに、いみじう、をかし。銀など、押し片たる様なるに、「水晶の茎」など言はまほしき様にて、長く、短く、殊更、掛け渡したると見えて、言ふにも余りて、めでたき垂氷に、下簾も掛けぬ車の簾を、いと高く上げたるは、奥まで、差し入りたる月に、薄色、紅梅、白きなど、七つ、八つばかり、着たる上に、濃き衣の、いと鮮やかなる艶など、月に映えて、をかしう見ゆる傍らに、葡萄染め固紋の指貫、白き衣ども、数多、山吹、紅など、着零して、直衣の、いと白き、引き解きたれば、脱ぎ垂れられて、いみじう、零れ出でたり。指貫の片つ方は、戸軾の外に、踏み出だされたるなど、道に、人の逢ひたらば、「をかし」と見つべし。月影の、はしたなさに、後ろ様へ、滑り入りたるを、引き寄せ、露はに成されて、笑ふもをかし。「凛々として、氷、鋪けり」と言ふ詩を、返す返す、誦じて御座するは、いみじう、をかしうて、夜一夜も、歩かまほしきに、行く所の近くなるも、口惜し。