枕草子FANの意訳
原文
いみじう仕立てて、婿取りたるに、いと程無く、住まぬ婿の、然るべき所などにて、舅に遇ひたる、いとほしとや思うらむ。
訳
十二分に手をかけて婿を迎えたのに、幾日も経たないうちに住まなくなっていた婿と、出先などで顔を合わせる、愛おしいと思えるだろうか。
或る人の、いみじう時に合ひたる人の婿に成りて、一月も捗々しうも来で、止みにしかば、全て、いみじう言ひ騒ぎ、乳母など様の者は、禍々しき事ども言ふも有るに、其の返る年の正月に、蔵人に成りぬ。あさましう、斯かるなからひに、如何で、とこそ、人は、思ひたンめれ、など言ひ扱ふは、聞くらむかし。
勢いに乗っている時にある人の婿になって、一月も真ともに来ないで、そのまま音沙汰もなくなったものだから、誰もが、ひどく言い騒いで、身内では、不吉な事を言う人まで居たというのに、その翌年の正月に、蔵人に成ったという。「浅ましい、こんな人が何でと人は思うわ」など言い交わされていたのは、耳にしたと、思う。
六月に人の八講し給ひし所に、人々集まりて、聞くに、此の蔵人に成れる婿の、綾の表の袴、蘇芳襲、黒半臂など、いみじう鮮やかにて、忘れにし人の車の鴟の尾に、半臂の緒、引き掛けつばかりにて、居たりしを「如何に見るらむ」と、車の人々も、知りたる限りは、いとほしがりしを、異人どもも、「つれなく、居たりし物かな」など、後にも言ひき。
六月に、法華の勉強会である八講を受けさせていただく所に、人が集まることがあって、聞けば『この蔵人になった婿は、美しい袴、許された者しか身につけることの出来ない色の蘇芳襲に、黒半臂など、とても鮮やかな出立で、婿入りした家の牛車の後ろの柄に、半臂の緒を引掛けるほどにして居たものだから、知る限り皆「どう受けとめたらいいものか」と愛おしがっていたし、余所の人達も「平静を装っていたのかもな」など、後々までも言っていた』と。
猶、男は、物のいとほしさ、人の、思はむ事は、知らぬなンめり。
たぶん、男は、愛おしさ・・・、皆が大騒ぎしていた時のおもいは知らないでしょうね。