第325段(最終段)
物暗う成りて、文字も、書かれず成りたり。筆も、使い果てて、此を、書き果てばや。
此の草子は、目に見え、心に思ふ事を、「人やは見むずる」と思ひて、徒然なる里居の程に、書き集めたるを、あいなく、人の為、便無き言い過ぐしなど、しつべき所々も有れば「清う、隠したり」と思ふを、涙、塞き敢へずこそ、成りにけれ。
中宮の御前に、内の大臣の奉り給へりけるを、「此に、何を書かまし。主上の御前には、『史記』と言ふ書を、書かせ給へる」など宣はせしを、「枕にこそは、し侍らめ」と申ししかば、「然は、得よ」とて、賜はせたりしを、怪しきを、此よや何やと、尽きせず多かる紙の数を、書き尽くさむとせしに、いと、物覚えぬ事ぞ、多かるや。
大方、此は、世の中に、をかしき事を、めでたしなど思ふべき事、猶、選り出でて、歌などをも、木・草・鳥・虫をも、言ひ出だしたらばこそ、「思ふ程よりは、悪ろし。心見えなり」ともそしられめ。ただ、心一つに、自づから、思う事を戯れに、書き付けたれば、「物に立ち交じり、人並み並みなるべき耳をも、聞くべき物かは」と思ひしに、「恥づかしき」なども、見る人は、宣ふなれば、いと怪しくぞあるや。実に、其れも、理、人の憎むをも、「良し」と言ひ、誉むるをも、「悪し」と言ふは、心の程こそ推し量らるれ。唯、人に見えけむぞ、妬きや。
※「や」抜けていました所、直しました。