枕草子「哀れなるもの」/原文と訳・意訳

枕草子・訳①

しみじみと感じられる物

親を大切に思う、人の子。鹿の鳴く声。これからが楽しみな若い子が御嶽詣みたけもうでのための修行に入っている。見えはしない所に居て「修行に打ち込み明け方に響かせる読経」を聞くなどは、たまらなく「哀れ」。親しい人などは目を覚まして聞いているのだろうという想像。御嶽詣にでているその道程、様子は、どんなだろうと、心配し思うのは、何事も無く、御嶽に詣で着くこと、これが何よりとても喜ばしい。烏帽子が綻びている様などは、少し、人を心配させる。

偉人とされる人であっても、目立たない身なりで詣でるとは知っているからこそ思うことだけれど、
宣孝が「味気ないではないか。唯、素敵な服を着て詣でることに、何の問題がある。「みすぼらしくしていなさいよ」と神様が言っているとは、御嶽様だって言はないだろ」といって、

紫のとても濃い袴に、白い上着、表は白く裏は黄色いあを山吹の、とても奇抜な服を着て、隆光も裏の赤い丈の短い上着に袴で、続き、詣でたのだ、この斬新で見慣れない事態を(人々)「この様な姿の人は見たことが無い」と呆れ驚いていたのに、帰った後、筑前の守が失せ替わりに、筑前の守に成ったものだから「本当に、言う通り、間違いはないのだよな」と噂になったっけ。

これは御嵩のついでの話。

秋口に、微かに聞く螽斯の声。鶏が子を抱えている姿。秋の深まる庭の草に、あちらこちらで光る玉のような露。竹が風に吹かれている夕暮れ。夜明けまで起きていた夜など、全て、思いを交わした若い人の中にある、すべて。上手くいかない人もいて、心のままにも居られなくて。山里の雪。黒い服を着ている清らかな人。語り合っているうちに朝が来て、見れば、微かに心細気な月が、山の端近くに見えているなんて、本当にしみじみとする。秋の野。歳を十分に重ねた僧侶たちの御勤めをしている姿。荒れた家に、葎、つたが這い掛かり、蓬などが高く生えている庭、月の、陰りのない、明かり。

荒くはない風が、吹いている。

メモ

下の写真は江戸時代に多く出回ったという枕草子/春曙抄の海賊版と思われるものです。六冊目の13枚目、中あたりから「哀れなる物」はあります。

下の写真は、岩波文庫さんの枕草子(春曙抄)です。上の春曙抄の本文と注釈を字母にして下さっている本です。

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